高野山開創の地、壇上伽藍。
弘法大師の思想と理想を具現化する、真言密教の聖地です。
高野山の聖地とされる壇上伽藍には、多くのお堂や塔が立ち並び、高野山の行事の多くは壇上伽藍で執り行われます。
開創当時、講堂と呼ばれていた金堂は、長く高野山の総本堂として重要な役割を果たしてきました。現在の建物は7度目に再建されたもので、本尊は高村光雲作の薬師如来が奉安されています。
根本大塔は真言密教の根本道場として建立されたもので、内陣の中央に胎蔵大日如来、四方に金剛界四仏、周囲16本の柱には堂本印象の十六大菩薩を配して立体曼荼羅形成しています。
御影堂は弘法大師の持仏堂とされる建物で、国宝に指定されている不動院は、行勝上人が鎌倉時代に建立した書院造り様式の仏堂です。
アクセス / 普門院から徒歩約10分。
明治5(1872)年まで、高野山は女人禁制の地でした。
女人堂は当時女性のために設けられた参籠所で、禁制が解かれた後は、最も大きかった不動坂口の女人堂が唯一保存されています。
堂前には安政年間江戸の大地震で亡くなった人々を弔うために建立された「お竹地蔵」が祀られています。
アクセス / 普門院から徒歩約10分。
金剛峯寺はもともと高野山全体をさす名称でしたが、明治の改号指導により、高野山総本山である青厳寺の固有の名称となりました。 その後隣接していた興山寺と合併し、現在に至っています。
豊臣秀吉の亡母の菩提寺で、豊臣秀吉自刃の地としても有名です。
アクセス / 普門院から徒歩約3分。
金剛峯寺を始め、高野山に伝わる国宝、重要文化財の収蔵、一般公開を目的として建立されました。
建物は宇治平等院を模したもので、山内で数少ない大正建築です。
アクセス / 普門院から徒歩約10分。
苅萱道心(等阿法師)が出家して、実の子石童丸(信性法師)と父子を名乗りあわないまま師弟として修業に明け暮れたと伝えられるお堂です。
苅萱道心と石童丸の話は悲話として語り継がれています。
アクセス / 普門院から徒歩約10分。
一の橋から弘法大師の御廟までの約2キロの参道です。20万基を超える墓碑には、数多の歴史上の人物の名が刻まれています。
アクセス / 普門院から一の橋まで徒歩約13分。奥之院まではさらに30分ほど歩きます。
高野山の総門で、開創当時は現在地よりやや下がった九折谷にありました。
現在の門は宝永2(1705)年に再建されたもので、両脇の金剛力士像は康位(阿形像)と運慶(吽形像)によるものです。
アクセス / 普門院から徒歩約18分。
高野山開創1100年の記念として大正14(1925)年に建てられたもので、毎年、全国詠歌大会や宗教舞踏大会が開催されます。
アクセス / 普門院から徒歩約7分。
北条政子が夫源頼朝の菩提寺として建立、明治33(1900)年に国宝に指定されています。
また、経堂は高野山唯一の校倉造で重要文化財に、境内のしゃくなげは天然記念物に指定されています。
アクセス / 普門院から徒歩約7分。
三代将軍家光によって建立された、徳川家康と秀忠をまつる霊台で、一重宝形造りの同じ建物が2棟並んで建っています。
大正15(1926)年に、重要文化財に指定されています。
アクセス/ 普門院から徒歩約10分。